スポンサーサイト

  • 2019.07.30 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    欲望と希望は違う

    • 2017.04.26 Wednesday
    • 00:19

     

    こんにちは。

    先日、実家に帰ってしまって、書けなかったので、ノートにメモしていました。

    それを思い出しながら。

     

     

    これまでの自分の人生を振り返ると、

    (こっから数十行振り返るので☆☆☆まで飛ばしてください・・・)

    中学受験をしていいところに入って、

    大学もそのままいいところに入るべきなんだろうな、と思いつつ、

    「そういうことじゃないんだよなぁ」という気持ちをぬぐえず勉強できず、

    適当なところに行き、(でも、いいところに落ちた時は一丁前に落ち込むw)

    将来のことなんて考えるのが嫌だったので、

    ただ文章が好きだったという理由で文学部に入り、

    友達をつくろうという気力もなく、のらりくらりしていたら

    ほとんどのサークルの新歓を逃してしまい、

    新歓を遅くまでやっていたのが唯一の出版サークルで、

    ここでも文章が好きだったので、迷わず入り。

    そして、文章が好きということしかわからなかったので、出版社に入りたかったのですが、

    自分にはそんなセンスも体力もないため、

    友人から出版社の入社に優位らしいという噂の

    某大学の某学科を聞き、勉強して途中から入学(ダブルスクール)

    エリートとして電通、朝日新聞、NHK、集英社、日本テレビと

    のきなみ優秀な就職を決めていく友人たちをしりめに

    「そういうことじゃないんだよなぁ」という気持ちをぬぐえず、

    真面目に就活で自分の長所を述べたりすることもできず、

    でも文章に関わること以外で、まともな社会人になれるとは思えず、

    編プロに入りました。(でも、いいところに落ちた時には一丁前に落ち込むw)

    入ってから、どうして私は給料とか福利厚生を重視しなかったんだろう?とハッとしたくらいに

    安月給でブラックに染まった会社でした。

    そこに2年間いる間に鬱で同期は次々退職(先輩後輩含めると退職率75%くらいだったw)。

    それから、比較的まともな会社に脱出(転職)。

    雑誌をつくりました。

    最初の3年くらい?は契約社員で、正社員との差(仕事はこっちが大変なのにボーナスがないとか)に恨みつらみを抱えていました。

    そこで6年以上いたと思うんですけど、毎月毎月出すのに疲れて、「休みたい」と口走るようになったころ、適応障害を発症しました。


    そこから顔のマッサージをこっそり開始。

    そのまま音叉習ったりね。

    この流れで、顔のマッサージをやる私とヒーリングをやる私がいます。

     

     

    ☆☆☆

     

    振り返ると、私は「すでに社会にある職業につくのは無理だろうなぁ」と昔から思っていたんだなぁ。

    でも、どうしていいかわからなくて、自分をそこそこに偽らずに、そこそこに受け入れてもらえそうな社会の中でのポジションを探していた。でも、ポジションに染まり切ることはできなくて、不安を抱えたままいったりきたり。これまでずっとそうでした。

     

    今が一番、望んでいた形に近くなってきたのかもしれない。

     

    ここに来て、もう一段深く、自分の好きなように生きちゃいなYO!と言われている感じがします。

    もう、顔のマッサージとか音叉とかやめちゃえばいいのに、みたいな。

    お金稼ぐ必要があるから、やってんじゃないの?みたいな。

    んー、そうなのかな?結構好きなんだけどな・・・どうなんだろうというところで揺れます。

    実際、お金も必要だしね。

     

     

    そうやって、自分の内面をサーチしているうちに、

    欲望と希望は違うんだなぁと思いました。

     

     

    欲望は、きっと他の人の目線を通して見ている、夢みたいなもの。

    モテたいなとか、人に好かれたいなとか、人を招待できる家に住みたいなとか。

    働いていたいなとか、いい会社入りたいなとか、褒められたいなとか、認められたいなとか。

    人に感謝されたいなとか、人を助けたいなとか。

     

    これを叶えるのって、なんか試験みたい。

    できるの?できないの?っていう他人の目が入る。

     

    他人の目を気にしてできた夢だから、結果のジャッジにも他人の目が入る。

     

    できるの?できないの?

     

    そういうプレッシャーをはねつけてやるのがカッコいいと思う人もいるのだろうけど、

    私は萎縮する。

     

     

    希望は、自分の中から出てきたもの。

    自分の中から出てきたものだから、結果を待たずに、希望そのものを生きることができる。

     

     

    純粋な希望って、なんだろう?

     

     

    純粋な希望と自分が一体になったら、とてもいいよね。

    それを今、いろんな角度から試行錯誤している感じです。

     

     

    ☆☆☆

     

     

    これまで、瞑想の意味って、よくわからなかったんだけど、

    自分の中にある欲望と希望をジャッジャッっとふるいにかけて、

    希望をわかりやすく見つけてくれるものかもしれないなぁ。

     

    それなら、わざわざ瞑想する意味があるかも。

    (瞑想は、歩きながら、料理しながら、踊りながら、いつでもできると思っているのです・・・一応

     てか、最近瞑想瞑想って書いてるってことは、きっと私に必要なんだろうなぁ)

     

     

    ☆☆☆

     

    自分の気づきを夢中でノートにメモしている時、情熱が体を駆け巡り、

    まったく寂しくありません。1人だけど、1人じゃない。

    夜中に起き上がって、「あ!これだ!」と思ったことをノートにメモする。

    そういうことを10代ではやっていました。

    朝になって、何書いてたんだろう?と思うこともしばしばですがw

     

    卒論を書いている時、私は三畳一間で一人暮らしをしていたのですが(笑)

    あの時も、夢中で書いているときは、何かに守られているような気がしました。

     

    書いている間は、1人だけど1人じゃない。これは私の希望だなぁ、とわかります。

     

     

    読んでくださっている方、どうもありがとうございます。

     

     

     

     

    では。

     

     

    心を透明に

    • 2017.04.12 Wednesday
    • 23:50

     

     

    心を透明に・・・静かに・・・

     

    今、自分がどういう状態でいるか・・・?

     

    そう考えただけで、心がざわざわする。

     

    ただ、静かに。クリアに。

     

     

    求めるものは、瞑想かもしれません。

    哀しみと、哀しみの中からできる取捨選択

    • 2017.04.12 Wednesday
    • 19:59

     

    こんにちは。

     

     

    先日から、本当に話し合って、話し合って、話し合っています。

    話し合って、話し合って、話し合った結果、

    こんなに違うのだ、というのがわかったということでしょうか。

     

     

    価値観が違う。これはどうしようもないな。

     

     

    哀しいです。

     

     

    ものすごく哀しい。

     

     

    でも、哀しみは自分を冷静にしますね。

     

     

    本当に、精神的なものを求めたくなります。

     

     

    精神的なものって、1人でやるものなんですよね。

    1人のときに、生じるものといいますか・・・

    だから、How toにはなりえない。

    求める心がなければ、本質は開かれないから。

     

     

    それでね、ああ、もう、自分の道を歩いていくしかないんだな、と思います。

     

     

    人に嫌われてもいいや、というのともまた違って。

     

     

    人に嫌われてもいいや、というのは、人に好かれるという前提もあるのだけど。

     

     

    そういう前提に立たないところ・・・に行くことになるんだろうなぁ。

     

     

    自分の道をいったら、ただ自分の道を生きるだけになるから。

     

     

    真央ちゃん、引退されましたね。

    日本のフィギュアスケートの方々って、波動の高い方が多いですよね。

     

    真央ちゃんも、羽生くんも。

     

     

    出口の見えない話し合いをしているなか、夜、2人の演技をずっと見ていました。

     

     

    羽生くんは、今もまだ若いけど、10代のときから、周りへの感謝が半端ないです。

    以前だったら、どうしてそんなに周りへ感謝できるのだろうと思いますが、

    今は、なんだかわかるな、と思います。

     

     

    その時は、どうして私はそう思うようになったのだろう?と思いましたけど、今はわかります。

     

     

    自分の道をただ生きている2人の演技を見ていたかったんだな、と思います。

    自分の道を生きていたら、感謝って自然に出てくるんだよね。

    なんでか?なんでだろう?奇跡みたいに素晴らしい毎日だからじゃないかな。

    そして、ものの道理がよく見えるからじゃないかしら。

    ものの道理がよく見えたら、人はみな、感謝して生きるものじゃないかしら。

     

     

    孤独が怖い。賞賛も怖い。

    人があれこれ言うことに左右されても、

    人を助けることにやきもきしても、

    自分は生きられないんだな、と思います。

     

     

    そういうのに左右されない自分でいるには、

    自分を丁寧に見て行く、ということと、

    自分の好きなことをやっていくということになるんだと思います。

     

     

    自分の価値観を見て行く。

    大切にしていることに気がついて、それをちゃんと大切にしていく。

     

     

    自分が自分に与えたことが、自分の手応えと自信になるから。

    外の人のいうこと動揺しないぞって、踏ん張ったり、我慢したりすることじゃなくて。

    きっと、自然になってくる。

     

     

    今日、外から家に帰ってきて、

    今までで一番、welcome homeでした。

     

    私が自分を受け入れることにしたから、そう感じたのだと思います。

     

     

    哀しみは、私を冷静にして、本質に戻す。

    それがなければ、わからなかった。

    そして、まだ始まったばかり。

     

     

    PR

    calendar

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    30      
    << April 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recommend

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM