骨格矯正のこと(1) 罪悪感にまみれていた頃のこと

  • 2015.11.21 Saturday
  • 23:05

こんにちは(^^)


ふみかです。


風邪で1日寝ていたら、この時間になって、さすがに眠れなくなってきました。


昨日、骨格矯正にいきました。
骨格矯正の前にオイルマッサージもしてくれて、なんだかんだ3時間くらいいたのですが、
体がスーパー楽になって、昨日から寝ることが快感になりました。
寝ることって、こんなに気持ち良かったのか・・・とヒデキ感激!!
(しかもバイト先の紹介なので、初回は費用を会社負担という・・・ヒデキ感激!!)


胸が開いて、咳も出やすくなり、今日1日で出切った感があります。
今内臓にきてますけど、それも今夜が山場だと思う。(早く寝ろよw)
それにしても、ありがたい・・・


さて、その骨格矯正、スピではないけど、もともとが医療系で働いていた方で、
東洋医学にも詳しく、半分スピみたいな診断をされて、いろいろ心に響きました。



その中のひとつが、
「今の現状で、普通の人なら、ちょっとこれから休もうか、というくらい体は疲れているよ」ということ。


あら、びっくり。


1年前に鍼で「満身創痍」と言われたときもびっくりしましたが、
まだ身体は悲鳴をあげているようです。
(まぁ、会社員にそういう方はめちゃくちゃ多いと思いますが)



「会社を辞めて半年。でも、会社を休んでいる時期が1年くらいあったので
かなり休んでいますよ?」と反論したところ、


「この身体の気質から、会社に行ってないときは、罪悪感でいっぱいで休めていないでしょう。
 自由になってまだ半年なんだよ」
というようなことを言われ、そうだったよなぁと思いました。


本当に罪悪感でいっぱいでした。
でも、今はその感じがわからないから、書けないんです。(^^;
なので、鬱一歩手前だった頃に一人でパチパチ打ってた文章をのせます。
自分のための文章なので、独り言の連続みたいですけど、
罪悪感があって、叱咤激励があって、考えている。
でも、四六時中このトーンでしたから、たしかに休めていないかも。
自分のことは本当にわからないものです。



        ⭐       ⭐        ⭐
 

2014/06/20

職場の先輩が、わたしのことを心配しているとFacebookのメッセンジャーで伝え聞く。「彼女が(私の休職に)かなり責任を感じている」と。そうだろうなって思う。そういう風に人のことを思いやる人だから。あだ名は、神。この先輩から学んだことはとても多い。そして、わたしは、ここに罪悪感から解放されたと書いても、彼女に面とむかって顔をあわせる勇気は、ない。彼女を前にしたら、もう罪悪感は感じたくないというわたしの主張は、、、ただの主張に過ぎなくて。

思想や哲学や信念は、人と人の間の架橋にはならない。共に苦労も嬉しいことも経験してきた人を前にしたときに。

じゃあ、わたしの心が話すことはなんだろう?本音はなんだろう?

「あなたのことをずっと思って、心配していました。自分のことも、あなたのことも心配することに疲れてしまいました」

「心配することに疲れてしまいました。だから、もうお互いに心配をするのはやめましょう」

 

賢くなりたいんじゃないし。でも、かといって、人に流されないでいたい。そのためにいろいろ考えるのだけれど。

でも、大切な人を目の前にしたときに、本当に心を裸にされる。ごめんなさい。
わたしは、泣くわけだけど、泣くのって、心が傷ついているのかな。心を開いているからなのかな?

どこで生きるのだろう?どういうときに生きているって感じるのだろうって何回も書いた。昔から思っている。もしめちゃくちゃわかりやすい目標があって、それにむかって生きていったら、目標を達成したときに「生きている」って感じるのだろうか?とか、そんなことを考えていたときは、目標がある人が羨ましかった。

どこで生きている?今、わたし、ひっそり生きている。習い事をしたおかげで人間関係は広がっているけれど、でも、FBは更新しないし、会社の人には会いたくないなって思いながら生きている。

葛藤。

切実な葛藤は、わたしをつくりかえる。真剣だから、自分があぶり出される。わがままも、願いも、悲しみも。そこから、現実的な一歩をどう出せるのかを迫るから。

どこで生きているのかという話。先輩のことを考えながら、彼のことを考えながら、音楽を聞きながら、ああ、感情を感じるときに生きているんだと思った。

昨日、感情がもっともパワーがあると書いたけど。感情を感じたくて、この地球に降りてきているという説もあるくらいだからさ。(忘れていたけど)だから、感情を感じるときに、生きている。今の、わたしの、問題は、感情を感じるために、罪悪感やいろいろなものをわざと持ち出しているんじゃないかってこと。自分の湧き出す感情がパターン化しているような気がする。ときどき、自分がとても平板な人間なような気がする。切なさのほうが、感じやすいのかしら。

いつかの日記に、わたしの心に、わたしだけにその姿を見せてほしい、と書いたけど、わたしの心は、あるがままをわたしに見せはじめていると思う。前よりも、たしかに心があると感じるから。

心が揺れる、感情はたゆたう。5色くらいしかないと思っていた感情が、今は無数にあることがわかる。5色にしていたのは、わたし。面倒だったんだよね。一つの一つの感情は激しくてさ。もっと、ゆっくり歩こう。けやき通りに木々を見に行こう。イヤホンを外して、町の音を聞いてみよう。木や花や彼の匂いを嗅いで、触って。あてもなく歩いて、空を見てみよう。今、ここに花とともにいよう。

明日、すべての自己啓発本を捨てようかしら。笑。ああすべき、こうすべきなんて言葉を聞くよりも、そのままを受け入れるほうが大事だから。心は繊細で、その繊細さが嫌いだったけど、その繊細さを全部受け入れてあげようかしら。そしたら、素直になれる。素直になるためには、少しの弱さが、呼び水になるような気がする。

➖➖宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」

 誰かの願いが叶うころ あの子が泣いている

 みんなの願いは同時には叶わない

 小さな地球がまわるほど、優しさ、身につくよ

カラオケでなんか泣ける曲っていうのがあって。ちょっと前は、ミスチルのHEROとしるしだった。今は、宇多田のこれ。わたしは、みんなの願いは同時に叶うって思っている。でも、それは、被害者も加害者もない世界において。

罪悪感から抜けることは大切だけど、自分のことだけを考えていられない。誰かが泣いていることを知っている。でも、どうにもできないから、大人の自己完結の方法を探っている。他の人や自分をせめるのでもなくて。あるがままを受け入れられる人になりたいと思う。ただ、愛を感じるときだけ、それが可能になるんだけど。だから、いつも愛を感じていなくてもいいけど、愛の状態を忘れないで、それに戻れる人になりたい。やっぱり。切実な葛藤は、わたしをつくりかえる。

ほっとする場所。ほっとする感情。ほっとする人。それが目印。どんなに頭が語っても、自分を責めても、諦めそうになっても、自分の道をあるく目印は、それ。

 

2014/06/21

頭で考えすぎている。頭でコミュニケーションをとりすぎている。
どうして、カラリと晴れた心で、先のことを考えずに、ここにいて、笑っていられないのだろう?

やりたいことをやってみていいよって言って。心配しないで、安心していいよっていって。

本当は、押し込めているんでしょ?不安や諦めや、愛されなかった記憶を?

人間が、とても巧妙に自分をあざむくという話し。それが人間のエゴで、エゴは自分を守るためにある。そのエゴは、悲しみからうまれる。記憶にないくらいの幼少期にエゴは、自分を守るための戦略を立てる。そのエゴのロジックはむちゃくちゃで。たとえば、傷つきたくないから、人と話さないとか、人に怒りまくるとか。大人になって、そのエゴの戦略を捨てたほうが幸せになる時期がきても、人は捨てられない。そこのからくりがわからないから。エゴは存在を維持するために、生き続ける。こういう罠が自分のなかにあるんだと思うんだけど。でもさ、こういう話しって、ナンセンスなのかな。つまんないのかな。それだけじゃなくて、寝た子を起こすというか・・・問題を感じていない人を揺さぶって、問題がある!っていっているような話しなのかな。そういうことをやりたいわけじゃない。

何より、わたし自身に対して。自作自演で問題をつくっているんじゃないの?

ご機嫌でいきたい。頭じゃないの。心がわくわくすることを見つけたい。

カラリと晴れた心は、本当は、今すぐ持てるんだよね。知っている。何が足りないとか、あれがこうだったらいいのにっていわなくても、いいの。知っている。でも、それで押し切りたくない。

自分の感情を味わっていく。その先には、人とかかわることへの憧れがある。大切な人と心を開いて、愛を感じて、満たされていたい。お互いを慈しんで、いきていたい。たった一度しかない人生だから、人間が持つ愛をめいっぱい感じたい。愛のすばらしさに驚いていたい。

昨日の日記に書いた、神っていうあだなの先輩がいってた。

「こんな自分をこんな自分なんだって、諦めながら、受け入れていく。でも、こんな自分でも悪くないって思っていくんだよ」

わたしは、本当に自分を受け入れられない人なのかもしれない。いつも、もっともっともっとって言って。自分を受け入れる方法も愛する方法も具体的にわからなかったから、今は、自分を甘やかしていたい。ひっきりなしに、わたしの頭のなかは、このままではいけないっていっている。少しずつトーンを変えていけますように。どうして、なんで、こんなに必死なんだろう。笑。あーあ。すぐに考えすぎちゃう。そうめんでも茹でて、食べよう。

ぬくもりがいる。ぬくもりが好き。あなたにぬくもりを感じる。だから、くっついていたい。難しい話は抜きにして、ただくっついていたい。でも、人と人の関係には、具体的な言葉や行動や作法が必要で、それをクリエイトしつづける自信がただないだけなのかもしれない。まぁ、自分の人生をクリエイトしていくことだな。明日、明後日、明々後日。

2014/06/22

あの人もいきて、わたしもいきて。生き抜くなかで、ただ、同じ人間というだけで、祈るような気持ちを持つ。

あの人のためにわたしが何をできるのか(正確には、わたしが間接的に何ができるか)。わたしがせわしなく考えることは、傲慢だっていわれること、わかってる。それでも、せわしなく考えてしまう。

罪悪感ではなくて、祈ろう。

天と地の間に一人の人間としてたって、エネルギーを回して、天と地をつなぐ人になる。

そういう風にひとりひとりの人間が生きているから。どんな体験も尊くて、魂はみんな同じところにいる。

愛も神もときに残酷に見える。愛には何の保証もなく、太古の昔から、神は残酷な経験を人間にさずけてきたでしょ。だから、愛も神も信じることに躊躇する。でも、それでも愛も神も素晴らしいと、人生を通じて何回も思い直す。

罪悪感から解放されることが最近のテーマみたい。誰かのために罪悪感を持つのではなくて、誰かのために祈ろう。それぞれがそれぞれの経験を全うしている。わたしが、自分のエネルギーを自分のために使えるようになるには、人の目を気にしないこと、罪悪感を抱かないこと、未来を心配しないこと。そんなことをやっていく必要があるみたいで。

そして、それぞれの人生を尊重すること。加害者も被害者もいない世界をつくりたいなら、わたしの世界から、まず加害者も被害者もなくすこと。被害者も加害者にもならずに、自分の価値を認めること。

心によりそって、心を解放して、楽しむ。ご機嫌で生きるまで、もう少し。


 

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  • 2017.06.27 Tuesday
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