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- 2019.07.30 Tuesday
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言葉をください
言葉があふれる
言葉が故郷
言葉が音楽
言葉で描きだす景色の中で、自然の中で
ホッと息をつく
言葉が溢れ出す
世界観を書いてみよう。
人は何によってポテンシャルを開花させるのか。
人はもしも、その人のまま、その人の最高最善を生きることができたら、ポテンシャルを開花させることができる。
でも、多くのは人はくじけてしまう。
なぜなら、最高最善を生きることは無理だと諦めてしまうから。
諦める原因になるのは、生命力が弱まるからだ。
生命力。
花が咲くように、木々が伸びるように、命は前進し変化する。
なぜなら、それが自然だからだ。
人間にも生命力がある。その生命力を生かしてあげさえすれば、みんな最高最善を生き始める。
なぜ生命力が弱くなるか。
自分を責めるからだ。
自分を責めることは生命力を弱らせる。
他の人の目、世間との比較によって、自分を責め出すとき、
人からの期待に応えられずに自分を責め出すとき、
まるで美点のように思われるから、多くの人はその罠に気がつかない。
でも、それは生命力を弱らせる。
自分を責めずにいたら成長が鈍るかもしれないと危惧する人は、
一度責めないでみてほしい。
ただ成長がはやくなるだけだと気づくから。
生命力を伸ばすもう一つの方法は、自分を愛することだ。
自分を愛するとは、自分のあらゆる感情を受け入れることだ。
悲しいことも、嬉しいことも、恥ずかしいことも、欲望も。
だって、人間だもの。感情はなくならない。
深い悲しみも、生きていればあるでしょう。
どうしようもならないこともあるでしょう。
それをなくすことはできない。
でも、よりそうことはできる。
子供だと思って。悲しかったね、うれしかったね、頑張ったね。
寄り添う。とことん寄り添う。
自分を責めずに、自分を愛する。
その結果、どうなるか。
どうにもならない。
どうにもならないとしても、自分を愛する。
なぜなら、今、愛したいから。
それが命で道理だから。
今、生きたいから。
何のメリットがなくても、自分を愛する覚悟と決意を持つと、
生命力が伸びていく。
もしも目に見えない世界にミラクルがあるとしたら、
それは生命力の強さから起こるのだから。
自分の人生に責任をもてば、それは起こる。
自分の生命力がでてきたら、自分と会話しよう。
自分ととことん話してみる。
どうしたいの?何が好きなの?
どんなことに興味があるの?
まるで子供と話すみたいに、話を聞いてあげる。
寄り添って、会話をして。
そうしたら、いきたいところにいってみよう。
生命力が出てきたあなたなら、きっといける。
自分を信じて、リスクも知って、覚悟してえらんだ道ならば、
どんな道でも正解にしていける。
それが人間と命の道理だから。
実家のベランダは多摩川沿いにあって、そのベランダからは、
川向こうの山が見えた。
川沿いの土手には、ススキノが広がっていて、その広い土地の上に広がる空には
星空がよく見えた。
まだ10代か20代のはじめ、同じく若かった兄と二人で、
まだ肌寒い冬の星空の下、ベランダに出て語り合った。
そのとき、タバコを吸いながら兄がいった。
「最高のものを求め続けたら、最高のものが手に入るのかな?」
言ってから、兄は少し決まり悪そうにしていた。
わたしはもちろん、「手に入ると思うよ」と答えた。
☆ ☆ ☆
わたしが欲しかった最高のものは、愛だ。
愛する人。
芯から愛する人がほしかった。
もしもその人が見つかったら、私は、その苦しみから成長し、その喜びから成長し、
つまるところ、それは、愛する人を通じて、自分を表現するということだから。
愛する人と自分を表現しながら生きていくことだから、こんなに素晴らしいことはないと思った。
欲しいものはただ一つ。愛する人。
☆ ☆ ☆
ある人が言う。
「人間は、年を重ねた方が絶対に魅力的だ」と。
若い女の子には全然興味がない。中身がないか、あるいは赤ちゃんのようだから。
年をとって、さまざまな経験を重ねて、それから自分以外のことを考えるようになる。
若いってことは本当に自己中心的なんだから、と。
若い人は反論するかもしれない。
でも、それは言い方を変えれば、年をとれば、若い時には想像をつかないくらい
優しくなるということなのだから」
心には価値がある。
その人が立派かどうか、何ができるかどうかは別にして、
誰かの思いやりには価値がある。誰かの一生懸命には価値がある。
その価値が見える人には。
その価値が見えるか?
その価値が見えるには、自分が一生懸命生きること。
一生懸命生きて、他の人の一生懸命に価値を見出すこと。
☆ ☆ ☆
最高のものが手に入るか?
最高のものを求め続けさえしたら、きっと手に入る。
それは美しい心を、美しいと認めるその心が、
きっと可能にしてくれる。
人間賛歌。
今日も誰かの優しさと、一生懸命の人生の続きの一コマをもらって生きている。
全ての人と仲良しにはなれないかもしれない。
でも、誰かの仕事を通じて、私たちは人生を交換することができる。
目を向ければ、心が震える感動に世の中は満ちている。
何も立派なことはしないでいい。
一生懸命に生を全うしたら、それは、心を震わせるほど、素晴らしいことだから。
そうやって、人々が交わしている命に触れて感動するとき、
ああ、今日もわたしは一人でもやると決めたミッションを粛々とやればいいのだと安心する。
こんにちは。
わかりにくいということを愛している。
それが真実らしく思うから。
切り捨てて切り捨ててわかりやすくしたものよりも。
もしも、誰か、あなたを愛している人がいたら。
あなたはその人の前でいろいろな顔をあらわすと思う。
もしも、誰か、あなたの話を真剣に聞いてくれる人がいたら。
その人はあなたのわかりにくい話を受け止めてくれると思う。
人間は、全部で生きているから
自分をわかりやすく要約しないでいいと思うの。
じっくり話をして、じっくり付き合おう。
自分とも。あなたとも。あの人とも。
とことんいこう。
(ま、わかりやすい方が売れると思うけどね。
そこらへんに私はまだ魅力を感じられないでいる。
でも自分の経済活動のためにその魅力を理解したいわ汗)
自分がしていること、
いつも意味がないなぁって。
「またこんなことして」って思ってたけれど、
私にとって、無駄なことじゃなくて、
私にとって、意味があるのかもしれないなぁ。
こんなことしてっていうんじゃなくて、
まぁ、いいんじゃないって思ってもいいのかもしれない。
村上春樹が、自分について説明をするより、
目の前にある天ぷらについて、
どう思っているのかを説明するほうが、
自分についての説明になる、と。
自分のことを肯定しようとするとつかみどころがないけれど、
自分がやっていることを肯定すると、
自分のことも受け入れているようになるのかもしれない。
書いていると、時々、
ただ自分の心をこねくり回しているだけのような気もしてくる。
でも、言葉はいつも想いには足らない。
全然、書けないよね。
書けば書くほど、誤解が積み重なっていくだけだったりしてね。
だったら、書くのやめたらいいのにって思うけど、やめられない。
またこんなこと書いてって思うけど、
これもまた私には意味があるからしかたない。
強くなりたいなぁ。
強い人は優しいから。
わたしの強くなり方は、書いて、書いて、書いて。
自分がなくなるくらいに、書いて、書いて、書いて、死ぬことなんだろうな。
物事は最初から何もかも決まっていて、
自分は大いなるものにただ動かされて生きてるのかもしれない。
強くなりたいなぁ。
強かったら、よかったのになぁ。
このブログだけじゃなくて、
ちゃんとしたものを書いていこうと思うの。
できるだけ。