ちょっと書けない

  • 2017.07.24 Monday
  • 15:47

 

ちょっと書けなくなっちゃった。

 

 

でも、明日の與儀先生の手相講座は、満席で、

占いの鑑定ももう東京滞在中はいっぱいだそうです。

順調そうでよかった。

 

 

テキストもがんばってつくってくれているそうなので、

いいものになるんじゃないかな、と思っています。

とはいえ、私が主催するのは今回限りかなぁと思うのですが。

 

 

 

書けないっていって、またすぐ書いたりするかもしれないですが。。。

今は自分のセッション用のHPをぼちぼちぼちぼちつくっているのです。

ぼちぼち・・・

 

 

ではでは。

今日は魚の絵を描いた

  • 2017.07.22 Saturday
  • 13:20




こんにちは。



セルフ音叉ヒーリングの第1チャクラをやったら、すぐに描きたくなった魚の絵。


マウイの壁に飾ってあった魚のお皿を見ながら。



もっとイキイキしたもの、もっとのびのびしたものが描きたい。



こういう魚がたくさんいる海の中を描きたい。なので、魚の練習。



水彩画についてYouTubeで見ると、まず最初に画用紙を水で濡らすんだってね。知らなかった。



正当な描き方はなんであれ、自分の頭の中にあるイメージを描きたい。



blogに絵をアップしたら「頭で見たものを描きたいんだね」と何名かが言ってくれたのですが、そうです、頭で見たものを描きたいです。


ピースフルでカラフルでのびのびした魚と海の世界を描けたらいいなぁ。







意味があるのかもしれない

  • 2017.07.20 Thursday
  • 01:00

 

自分がしていること、

いつも意味がないなぁって。

 

 

「またこんなことして」って思ってたけれど、

私にとって、無駄なことじゃなくて、

私にとって、意味があるのかもしれないなぁ。

 

 

こんなことしてっていうんじゃなくて、

まぁ、いいんじゃないって思ってもいいのかもしれない。

 

 

村上春樹が、自分について説明をするより、

目の前にある天ぷらについて、

どう思っているのかを説明するほうが、

自分についての説明になる、と。

 

 

自分のことを肯定しようとするとつかみどころがないけれど、

自分がやっていることを肯定すると、

自分のことも受け入れているようになるのかもしれない。

 

 

 

 

書いていると、時々、

ただ自分の心をこねくり回しているだけのような気もしてくる。

 

 

 

でも、言葉はいつも想いには足らない。

全然、書けないよね。

書けば書くほど、誤解が積み重なっていくだけだったりしてね。

だったら、書くのやめたらいいのにって思うけど、やめられない。

 

 

 

またこんなこと書いてって思うけど、

これもまた私には意味があるからしかたない。

 

 

 

 

 

 

つきものがとれたよう / 女であることが嫌 そして、母

  • 2017.07.16 Sunday
  • 21:32

 

 

昨日は、起きる理由がなくて、なかなか起きられなかった。

と思ったら、生理の日で、生理に対処するためにすること以外はずっと寝ていた。

 

 

中井診療所の治療がなかなか進まなくなっていて、案の定、今回は嘔吐した。

 

 

それでも、痛み止めの薬は一回だけ(でも多分はいちゃったと思うけど)で済んでいるし、

体は楽になってきているから、とても感謝している。

 

 

中井診療所の治療が進まなくなってきているから、

体からのアプローチの限界が来ているんだな、と思った。

体からのアプローチでダメっていうことは、スピリットの問題。

何か私が気がつかなければならないことがあるんだろう。

 

 

そう思っていて、痛みと冷や汗の中で、吐くのかな、吐かないのかな、と自分の体の様子を伺っていたら、

みちよさんに「生理痛があるのは、女であることに心の中で抵抗があるからですよ。

女であることが嫌なんですよ」と言われたことが、突然腑に落ちた。

 

 

そうだ!私は女であることが嫌だったんだ!

 

 

個人的なエピソードとして、私が女であることや嫌だ、というのは思いつかない。

〜〜〜っていう経験があって、だから、女であることが嫌だったんです、という説明はできない。

でも、何かもっと深いところからの。前世でも、集合意識でも何でもいい。何かもっと深いところからの。

 

 

『ホモ・サピエンス全史』のいいところは、人類がどういうものだったかを総おさらいをしてくれることで、

社会の成り立ちの中で、”女”っていう性がどれだけ弱い性だったのかを思い出させてくれる。

 

 

でも、そんなことはずっと知っていた。

 

 

性犯罪や、人身売買、児童虐待、DV、そういうことがどれほどたくさんあるか。

今だって、世界のある国では女の人がプロポーズを断ったからって顔に硫酸をかけられ、

児童結婚のために学校を退学し、牛何頭かと交換されている。それは海外の話だけど、日本でも、

ていうか知り合いでも、性犯罪に巻き込まれ、その後おかしくなってしまった人もいる。

 

いや、それだけじゃないんだよ。

日常の中で、家庭の中で、人間関係の中で、

男と女が互いに尊重できないってことはたくさんある。

そういうのが全部哀しい。

 

 

そういう世界に起こっていることと、だから私が女が嫌だっていうのは、

あまりにも他所の世界の出来事を個人的なことに結びつけすぎなんじゃないかと思う。

それとこれとは別なんじゃないか?

 

 

それとこれとは別だ、と思いたいのは、私の理性であって、

私の理性は必死に、こういったことは事故であり、私には何の害もなく責任もない、と抑えている。

もしも共感をしたら、悲しみが爆発しそうで、でも、当事者でもない私の悲しみの爆発はかえって失礼なんじゃないかと思う。

そういう風に、入り組んだ抑圧が働いて、「え?私がどうして女であることが嫌だっていうの?」っていう

鈍感な自分を作っていたのかもしれない。

 

 

ああ、女であることは嫌だ。

本当に嫌だ。。。。

 

 

 

そういう風に思ってみると、それまで自分がいかに虚勢を張っていたかがよくわかる。

知識と理解で、私は自分を守ろうとしてきた。そして、感じないようにしていたんだ。

 

 

 

「あなた、感情を感じてないのよ」

「頭と心がね、繋がってないみたいなんだよね」

そんな風に言われてきたけど、そもそもの自分の土台である性に対して抵抗があるのだから、

当たり前じゃないか、と腑に落ちた。

 

 

女であることが嫌だ。

 

 

女の人を傷つけたくないと思っていたけれど、私は女の人を傷つけている。

とても残念なことだけど、それは私が女であることを嫌い過ぎているから起きてしまったのだろうと思う。

 

 

全部自分の中に、タネを持っているものだなぁ。

 

 

 

女であることは哀しい。

女であることは全部を与えつくすことのように感じる。

与えているのか、奪われているのかわからない。

母の手を握っていると、母に与え尽くしてもらって、私は生きているように思う。

 

 

 

でも、女であることが嫌だという自分に寄り添ってみると、

虚勢がとれていくような、自分で厚くしてしまった自分のガワがとれていくような、

心がそのまま現れてくるような不思議な安堵を感じた。

 

 

心がそのままだと、何もなかった。

心がそのままだと、言葉がない。

 

 

心がそのままだと、何か甘やかなものがやってきて、

とても無邪気で、与えるも奪われるもまるで話題にのぼらない、

とても甘いものがあることがわかる。

 

 

きっとここに立っているのが大人の女性なんだろうな、と思う。

母はきっと自然にここに立ち、与え尽くして、父を変えて、

兄と私を育くくんで、私たち家族の中心に立っている。

家族は彼女を中心に回ってる。

 

 

 

私は大人の女性であることに抵抗をしていたんだな、と思う。

女の子であることに隠れようとしていた。

「私は大人の女性です」

 

 

このセリフを口にすることに抵抗がある。

だから、服装もなんか変な風にぶれるんだろうな。

大人の女性である自分を見つめてみよう。

 

 

 

自己認識ワークも、この女であることが嫌だという視点にたったら、

全然違うものになりそうである。

 

 

女であることを嫌っているとわかってみると、

女の人の豊かさが遠くに見えてきた。

 

 

 

☆    ☆     ☆

 

 

女であることが嫌だというのは、何も世界の女性の人権侵害について憂いているせいだけではなくて、

社会的な圧力というのも関係があると思う。

 

 

女だから、料理できなくっちゃ

女だから、かわいくいなくっちゃ・・・

 

 

こういう圧力は、私が期待を読み取って、内面化したものだけど、

こういうものから、自由になりたい。

 

 

つまり、社会に媚びるのはもうやめるのだ。

 

 

社会的圧力が良しとしている価値観というもの全部が不要だと反対するわけじゃない。

問題は、それが私が自分で選び取ったものなのか、押し付けられているものなのか、だ。

(だから、本当にただの自分一人の中で完結することなのだけど)

 

 

自分の価値観がこんがらがっている。

社会にヘラヘラと媚びていたら、ほどほどにいいポジションにいけるんじゃないかという下心で

自分がよくわからなくなっている。

 

 

目の前にいる人を見ずに、得体の知れない何かに媚びている。

それをやめて、もっと純粋になっていくのだ。自分の中に。

 

 

そして、母。母を幸せにしたい。母を幸せにしたいんだなっていうのがよくわかる。

 

 

でも、私は母が大好きだけど、母のようにはなれない。

なんて残念なんだろう。愛する母が喜んでくれるなら、どんなに嬉しいか。

 

 

でも、違うんだ。そこはきっぱりしないといけない。

きっぱりするも何も、ただそうなんだってことなんだけど。

ただ、違うの。

 

 

私の中の最も大きな社会は、偉大なる母だから。

最初に母にノーっていわなきゃいけない。

 

 

母に理解してほしかったけれど、

それは、母に認められたいということで、それは実は母の期待に応えたいということなんだな、と思った。

 

 

それがわかったら、もう、母に今の状況の何もかもを話して受け止めてほしいという気持ちがなくなった。

 

 

母の期待には応えられない。母に理解してもらうことはきっとできない。

それでいい。ただ、母のことを愛していて、母が喜んでくれたらいいなと今も思う。

もちろん母も私のことを愛している。この世で一番無邪気に、あるいは深刻に、愛してくれている。

でも、違うの。

 

 

そのバランスでちょうどいいのだと思う。

 

 

そのバランスのとき、私は自分を押し付けるのではなくて、

母の世界を尊重できるのかもしれない。

母が以前よりも私から愛されていると感じるようになってくれればいい。

 

 

 

☆    ☆     ☆

 

 

ここ最近ずっと外食で、なぜこんなにも自分のために料理ができないのだろうと思ったけど、

この生理のあと、つきものが落ちたように料理ができた。

 

 

生理には本当に苦しめられる。

月経前症候群で、生理前には精神的に参ってくるし、

当日は痛いし。

でも、これによって、デトックスがあり、

この波の中で気づくことがある。

 

 

つきものが落ちたようだよ、ほんと。

 

いきてる  /  サレンダー

  • 2017.07.14 Friday
  • 21:00

 

今朝、ベッドで目が覚めて、目が覚めたことに、がっかりした気持ちになる。

重力が重くて起き上がれない。

もう一度寝ようかと思ってスマホを見る。朝の9時。

 

ふと、昨日アカデミークラブで見た、書棚が浮かぶ。

読みたい。

 

 

読みたい。っていう気持ちで起き上がった。

 

 

起き上がってみたら、あまりのいい天気に洗濯機を回したくなる。

洗濯機を回してみたら、シーツも、ベッドカバーも、布団カバーも何もかも洗濯したくなる。

やけくそなのかな。やけくそなのかもしれない。

 

2度目の洗濯機を回しながら、シャワーを浴びる。

 

 

最近は「どうせ汚れるんだから掃除しても無駄じゃない」っていうのと同じようなテンションで

「どうせ汗をかくんだから、シャワーを浴びても無駄じゃない?」っていう気分になるくらい、すぐに汗をかく。

洗濯物たちが汗をかかずに、ただ乾く方向だけに進んでくれることがありがたい。

 

 

シャワーに入るとどっと疲れる。なぜだろう。いつからこんなに疲れるんだろう。

だから、シャワーから上がったら、体を拭いてベッドにタオルを投げ出して横になる。

 

 

ああ、横になるとまた重力に負けてしまう。悲しみがやってくる。

悲しみがやってくると、また私の中で対話がはじまる。

このまま、ここで、このままここで横になっているのがいいんじゃないの・・・

 

 

そうしているうちに、2度目の洗濯機がピーピーなって終わったことを知らせてくる。

これを放っておくと、すごいシワになる。干すしかない。この太陽が出ている今。

 

 

布団カバーとベッドカバーを干してから、アカデミークラブにいくために準備をする。

昨日セールで買ったやっすいTシャツを着て、鏡の前にたつ。もうこれ以上日焼けしたくないから化粧をするのだ。

 

 

鏡の前に立った自分がひどい顔。久しぶりに顔をほぐす。

お客様にやるように。

 

ええと、おでこが凝っていますね。

ほほの下、そう、ここに固まりがあるのがわかりますか?これがほぐれるといいですね。

目袋をスッキリさせるには、コツがあるんです。ここです。目尻です。

目尻の骨の中にちょっとグイッと入るくらい。痛いですよね?でも、気持ちいい痛さですか?そう、なら大丈夫です。

 

 

そうやって、5分くらいほぐすと、顔がかわる。

あぁ、これだ。これを自分にやるのをすぐ忘れてしまうのだ。自分のことは、忘れてしまうのだ。エゴだらけだと。

エゴだらけだと、矛盾している、自分のことを忘れてしまう。我をはるあまり、自分のことを見えなくなってしまう。

だとしたら、エゴの正体は何だ。

 

 

アカデミークラブまで行くのに10分もかからない。けれど、それだけで汗だく。

カフェでおにぎりをほうばってから、ライブラリーに移動。寝息を立ててる人がいるけど、その音さえ気にしなければとても快適。

 

 

今日の『ホモ・サピエンス全史』は、男女の権利について。どうして常に男性であることが優遇されてきたのか?全然交流がない2つの文化でも、男性のほうが優遇されている。それは偶然の一致なのか?なぜ女性は長い間、父親や配偶者の所有物・財産とされ、投票権もなく、社会的に高い地位につくこともなかったのか。なぜ、片方の性がもう片方の性を支配してきたのか。

 

 

女性よりも男性のほうが、筋力が強いから?もしもそうなら、筋力が強い奴隷や兵士は優遇されるべきだ。でも、実際は戦争を指揮する指揮官は筋力の劣る貴族が選ばれている。

 

 

女性よりも男性のほうが攻撃性があるから?男性は、女性を妊娠させて子孫を残すため競争する必要があった。競争して攻撃性が高い遺伝子がどんどん残っていった。一方女性は、出産した子供を育てるため男性の助けを必要とした。そのため、男性が逃げていかないように男性の無理な要求ものむようになり、従順な遺伝子が子孫に伝わっていった。いやいや、女性がなぜ男性に助けを求めなければならないのか?ボノボやゾウの集団では、女性の方が社会的に協力する力を持っており、女性同士のネットワークで助け合い、自分勝手に攻撃性を発揮するようなオスがいたら、メスの協力によってこらしめている。だから、この説もダメ。

 

筆者は、結論として、どうして男性のほうが優位なのかわからないと書いている。

 

でも、私は言ってやりたい。「あんた、何もわかっちゃいないのね」って。

そもそもあんたの考えてる文脈が男性的なのよ。男性のロジックで考えたってわかるわけないでしょって。

権力や地位を女がほしがらないからよ。それを欲しがるのは男。女は愛を体現したいの。

権力や地位より、愛があるかどうかのほうが問題なのよ。男が女を愛せるように余白をとっておいてあげたら、おかしな方向に進んじゃっただけよ、歴史学者のあんたにこんなこと言ってもフェアじゃないかもしれないけど、バカね。ってさ。

 

こんなこと言ったら、フェミニズムの人にぶっとばされそうだね。

でもさ、現代には残っていない資料の中では女性の地位が高かった時代があると信じているけどさ。

 

 

アカデミークラブのいいところは、ちゃらちゃらしてる人がいないこと。

大の大人がみんな何かに集中している。そこがいい。

生きることが普通のことのように思える。わたしもその一員になって、集中する。

集中するときは、迷いがなくなる。

 

 

最近、友達が、投資に関するライティングの仕事をくれたのだけど、

それに関する資料なんかはザクザクあって、嬉しくなる。

(占い王子の與儀先生に、「もうすぐ新しい仕事が決まりますよ」と言われたけど、

 それが当たってことになるなぁ。)

 

 

そういえば、私の株式投資は、買っている株がちょっと下がった。とはいえ、まだ利益が出ている。

利益が○万円になったら売りたいと思うけど、再び値段が上がるかしら。

そして、安くなったら買いたいと思っている株は上がってしまった。

また、買いたい価格まで下がるかしら。

 

 

ビットコインは最安値を更新してしまった。安くなったところで買い足したからいいのだけど。

これから上がると思っているけれど、今のままだったら、いくらの損失だろう。

 

 

こうやって投資についてペラペラ喋っていられるけど、

じゃあ、次の株はどれを買ったらいいのか、いつ売ればいいのか、

次の仮想通貨は何を買ったらいいのか、いつ換金したほうがいいのか、わからない。

 

 

投資について、全容は全然わかってない。

サッカーのルールをわからずにPKのコツだけを語っているようなもの。

 

 

わからないってことがすごく怖くなる。

わたしは、わかってない。

 

 

自分の人生のなかで、生活のなかで平気な顔していきてるようで、

その実、実態をわたしは理解していない。

 

 

それが突然怖くなる。

そして、これがこのまま気が遠くなるほど長い時間つづくのかと思うとゾッとする。

 

 

でも、少なくともいきてる。

本が読みたいっていう気持ちで。

こういう時は、そういう光を見逃しちゃいけない。

感情なんかいらない。そういう光をただ見て、逃さないようにそれに従うことが生きるために必要な時もあるでしょ。

 

 

☆    ☆    ☆

 

 

解決する方法がない時、スピリチュアルではサレンダーする。

でも、今の私はサレンダーしているとは思えない。

アップアップで生きてる。

 

 

 

 

 

解決法がない

  • 2017.07.13 Thursday
  • 15:29

 

 

 

昔、父に「君は諦めないんだね」と言われたことがる。

 

 

諦めるもんか、バカヤロー!

 

 

と思ったけど、今、まさに解決法がないことにブチ当たっている。

 

 

解決法がないときに、残るのは感情。

 

 

にっちもさっちもいかない現状。

 

 

にっちもさっちもいかないなんてウソでしょ?

 

 

 

何かしら解決策があるはずでしょ?

 

 

 

最悪、スピリチュアルがあるでしょ?

 

 

 

って思ってきたけど、ない。

やりようがない。

 

 

だから、感情のいうことを聞いて、

頭は、この現状でもう少しだけハッピーにいきていく工夫をするだけなのかもしれない。

 

 

 

諦めるってことは、腹をくくるってことに通じるのかな。

 

 

解決法はないけど、

自分で選んだと自覚できるだけ、いいのかも。

自覚したら、生き方がきっとかわるからさ。

 

 

パパ、今ならパパが頑固な娘を心配していったのかなって、

ちょっとだけパパの気持ちがわかるよ。

 

 

 

 

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